おしり な しおり れべる 3(中)

作  竹海 楼蘭

「天気もいいし、お散歩しに行かない?」
 晩ご飯の後片付けを終えて、何とはなしに始めたオセロ遊びにも飽きてきた頃、お兄さんは突拍子もないことを提案してきました。
 気が緩んだあまり、あくびをしてしまったのが、そもそもの原因なのでしょうが、お兄さんの一言は、栞ちゃんの眠気を覚ますのに充分すぎる効果を発揮したのでした。
 だって、マンションの上層階にあってなお、階下の地面に叩きつける雨音は相当なものでしたし、時計の針がそろそろ午前零時に差し掛かっていることからしても、お散歩するのに適しているとは言い難かったのですから。
「……ふぇ?」
 暗い窓の外に目を向けて、矛盾しまくった提案に首を傾げている栞ちゃんの声は、どことなく間が抜けていました。
 さっきまでの眠気のせいではなくて、どうしてお兄さんがそんなことを言い出したのか、その意図がまるで掴めなかったのですから、無理もありません。
「真夜中だし、この大雨だし」
 五勝〇敗で勝ち越したオセロ盤を片付けながら、楽しそうにしているお兄さんの台詞からすると、少なくとも時間帯と天候の分別くらいはついているようです。
 そんなですから、いよいよもって何が何だかわからなくなってしまった栞ちゃんに、お兄さんは恒例ともいえる悪戯っぽい笑みを浮かべて、
「栞、負けてばっかで退屈そうだからさ――ちょっとは退屈しないようにしてあげないと、ね?」
 含み笑いさえ聞こえてきそうなその心遣いに、どことなく不穏な空気を感じ取って、ぶるっと身震いしてしまった栞ちゃん、ずっと裸でいたからとか、冷房が 効きすぎていたからとかじゃなく、何と言ったらいいのでしょう、このまま行くとなし崩し的にとんでもないことになってしまいそうな予感といいましょうか、 あえて言うならば“悪感”とでもいいましょうか――。
「そういえばさ、恥ずかしいことされるの嫌じゃないって言ったよね、さっき――」
 揚げ足を取るとは、まさにこのこと。年齢差も手伝って、言葉巧みに栞ちゃんをやり込めようとする手口といったら、見ていて感心するくらいです。
「――ってことは、栞はオセロなんかじゃなくて、恥ずかしくってたまらないことをしたかったんだよね?」
 何気なく言ってくれるものですから、反射的に頷きそうになって、慌てて首をぶんぶんと振った栞ちゃん、“嫌じゃないこと”=“必ずしもされたいこと”と いうわけではなかったのですが、弁解の余地も何もあったものではなく、早々にお出かけの仕度をするように言われてしまったのでした。
 この大雨の中、真夜中もいい時間帯にお出かけするのが、恥ずかしくってたまらないこととどう結びつくのかもわからないままに、それでもお兄さんがそうし たいならと、脱ぎ散らかしてあったワンピースを拾い上げた栞ちゃん、眠そうにしていたのがまるで嘘のようです。
 あれまあ、何だかんだ言ってもお兄さんとお散歩できるのが嬉しいと見えますが、それはそれとしても、まずは今後の心配をしたほうがいいのではないでしょうか。
「ああ、そのまんまでいいんだよ」
 ほら――始まりましたよ、お兄さんの意地悪が。
 ワンピースに袖を通しかけたところで、いよいよもって意味不明なことを言ってきたお兄さんったら、いったい何を企んでいるのやら。
「――え? え? ……えぇえっ!?」
 ぽかんとしたお顔の栞ちゃん、ようやくお兄さんが言わんとしていることに気がついたようで、吊り目がちな瞳をまん丸にして、素っ頓狂な声を上げてしまいました。
 長い夜の第二幕は、こうして始まりを告げたのでした。


 見知ったはずの道路は、まるで小川を思わせました。
 マンションを出てすぐの下り坂は、轍の跡に沿って、雨水がちょっとした滝みたいなっていましたし、濡れたアスファルトに揺らめく街灯の明かりは、道路そのものが大きな流れの一部であるかのように錯覚させました。
 建物や街路樹に打ちつける雨音は激しく、たまに車が盛大な水飛沫を上げて脇を通り過ぎてゆくこともあって、小川を連想するのも無理もありません。
 折からの大雨警報によって、まるで人気のない大通りを相合傘で歩きながら、お兄さんが手を繋いでくれているというのに、栞ちゃんは心細くてたまりませんでした。
 通行人とすれ違うようなことでもあれば、話は別だったのかもしれません。が、栞ちゃんにとって、誰にも会わずに済んだということは、ある意味において、幸運と言えなくもなかったのでした。
「栞、早くしないと置いてくよ?」
「や、やだぁっ! ……お兄ちゃん、もう帰ろうよぉ……」
 雨対策なのでしょう、サンダル履きのお兄さんに言われて、こちらは長靴を履いた栞ちゃんの声といったら、お化け屋敷でも前にしたかのように震えていました。
 体格差を云々するまでもなく、いつしか歩幅は二人の距離を置いて、こうして押し問答に近いやりとりをするのも、これで何度目だったでしょうか。
 きちんとレインコートを着込んでいますから、雨に濡れる心配はありませんし、ものすごい湿気も手伝って、蒸し暑くても寒いなんてことはありえませんから、栞ちゃんが声を震わせている原因は、別なところにあったようです。
「帰りたいなら、栞一人で帰れば? ……途中で誰かに見つかったら、さらわれちゃうかもしれないけど、それでいいんならね」
 半べそ寸前の哀願を突っぱねるお兄さんってば、いつになく意地悪モード全開ですが、今の栞ちゃんの格好を見れば、なるほどと頷けること然り。
 だって、半透明に近いナイロンの生地を透かして見えるのは、上から下まで肌色一色――つまり、薄手のレインコートしか身に纏っていないのは明白であって、じめじめした湿気が肌に生地を張りつかせているとあっては、裸も同然だったのですから。
「やだ……やだよぉ……」
 見ようによっては、むしろ裸そのものよりもいやらしい格好で、小走りに傘の中に戻った栞ちゃん、初めてのお出かけなのに、楽しむ暇なんてないようです。
 降りしきる雨と、煙るような湿気の中、どこへゆくのかも聞かされていないとあって、こんなことなら、負け越しでもいいからオセロのほうが良かったなんて、今さらながらにして思うことしきり。
 そんなですから、大通りから脇道に抜け、いくつかの路地をジグザグに曲がって、来た道すらもわからなくなってしまったいま、お兄さんが自分を置いていくつもりなのでは、なんていう不安も心に湧き上がってくるというもの。
「……栞のこと、いらなくなっちゃったの?」
「えぇっ!?」
 ふいに口をついて出た質問に、びっくりして足を止めたお兄さん、うつむき加減の栞ちゃんから話を聞いて、最初は笑って済ませていたものの、次第にエスカレートしていって、
「――だから、本気で置いてくなんて思ってないってば!」
「だって、さっき言ったもん!」
「それは栞がぐずぐずしてるからいけないんだろ!」
「ぐずぐずなんてしてないもん!」
 とうとう道端でケンカなんか始めてしまった二人、そんなに大きな声を出すと、近所の人が不審がって見にくるかもしれないですよ――なんて言ったところで、聞く耳すら持っていないに違いありません。

 次第に収まりがつかなくなって、ああ言えばこう返すの水掛け論になりつつありますが、この状況を何とかするには、それこそお水でもぶっかけてやるのが一番です。
 まあ、この雨に傘装備ですから、ちょっとやそっとのお水じゃ効果は薄いような気もしますが――。
――バシャーッ!!
 そのとき、タイミングばっちりとでも言いましょうか、脇をトラックが通過していったことで、無防備な横方向からの直撃を受けてしまった二人、言い争いがぴたっと収まったことを見ると、効果は覿面だったようです。
「……ぷっ」
 あまりにも突然すぎて、しばらくお互いのお顔を見合わせていた二人でしたが、一呼吸置いて吹き出したところを見ると、ようやく仲直りといったところでしょうか。
「栞、その顔」
「お兄ちゃんだって」
 泥水を浴びたせいで、茶色の水玉模様が縦方向の縞模様に変わりつつある相手のお顔を指差して、二人はケンカしていたことも忘れて笑い転げました。
 笑いの中には、つまらないことで言い争っていた自分のことも含まれていたのでしょうが、今さらそんなことを持ち出さなくても、ちゃんとわかり合えている二人ですから心配はいりません。
「傘はもういらないかな。天然のシャワーがあるし」
 ひとしきり笑った後で、頭のてっぺんから爪先まで、濡れ鼠もかくやといったところのお兄さんは、面白そうに傘を畳んでしまいました。
「栞もフード取っちゃいなよ。気持ちいいよ」
「うん」
 ずぶ濡れになったお兄さんに見惚れていた栞ちゃんも、言われるままにレインコートのフードを外しました。
 むわっとする湿気が、土砂降りの雨によって中和されてゆくようで、まさに天然のシャワーといった感じです。このまま裸になれたら、どれほど気持ちいいだろう――そんな風に思ってしまったところで、お兄さんと視線が合ってしまった栞ちゃん、
「もうちょっと行くと公園だけど、どうする? やっぱり帰りたい?」
 何から何までお見通しの声に、自分のほうから手を繋いで、言葉ではなく態度でどうしたいのかを伝えたのでした。
 ずっと手を繋いでいたのに、さっきまでどうしてあんなに心細かったのか、不思議でなりませんでした。今だからこそそう思えるのですが、ケンカもまんざら悪いことでもなかったような気がします。
 何はともあれ、一件落着の二人が目指す先も決まったようですし、まだまだ夜は長いのですから、ここは一つ、順を追って見守ってゆくことにいたしましょう。

 公園と言っても、そこは真紀ちゃんと一緒に遊んだりする町内会の公園ではなく、噴水や野外ステージも完備された、町の中央公園でした。
 レンガ敷きの遊歩道も、紫陽花が咲き誇る花壇も、銀杏の並木道沿いにあるベンチも、昼と夜、晴れの日と雨の日とではぜんぜん違って見えますから、まるで初めて訪れた場所のような新鮮さがありました。
 昼間はもちろんのこと、晴れていれば真夜中でもデートスポットになるという公園でも、さすがにこの雨の中デートしようなんていう奇特なカップルはいなかったらしく、ぐるっと一回りして貸し切り状態だと知ったとたん、
「気持ちいい〜♪」
 待っていましたとばかりにレインコートを脱いで、すっぽんぽんになった栞ちゃん、ずいぶんと大胆になっていますが、これもお兄さんの開発の賜物でしょう。
 これまでもパンツを穿かないように言われたりしたことはあっても、お部屋以外の場所で裸になったのは、今夜のこれが初めてのこと。もっとも、着ているだけで蒸し暑いレインコート一枚でいるよりは、裸でいるほうが気分的に楽だったからというのもあります。
「来てよかっただろ?」
「うん♪」
 雨に打たれて楽しそうにしている栞ちゃんに、こちらはTシャツだけを脱いでレインコートと一緒にベンチにかけたお兄さんはというと、何やら面白いことでも思いついたのか、悪戯っぽい笑みを浮かべていました。
「栞、こっち来てごらん」
 ベンチを二つほど挟んだところにある水飲み場から、お兄さんが手招きしてきます。
「なぁに?」
 水の入った長靴では歩きづらいのか、裸足でとてとてと近寄ってきた栞ちゃんの脇に手を差し入れて、「よっ」という掛け声とともに水飲み場の上にしゃがませたお兄さん、そのままレバーを捻ったものですから、
「ひゃあっ!」
 雨よりもずっと冷たいお水がお尻に当たって、思わず腰を浮かせてしまった栞ちゃんです。
「お兄ちゃん、これ……」
「うん。栞のしたいようにしていいよ」
 ようやくその意味するところを知って、こくんと頷き返した栞ちゃん、お兄さんにじっと見つめられるままに、おずおずと腰を下ろしいきました。
にゅぷ……。
 まるでおちんちんみたいな形をした水道器の、ステンレス特有の冷たさが、お尻にずんと響いてきます。
ちゅーっ……きゅぽきゅぽ……。
「……ぁ……冷たぁ……」
 そのまま後ろ手にレバーを捻ると、先っぽから飛び出したお水があまりにも冷たくて、栞ちゃんはぶるぶるっと全身を震わせました。
 シャワーのお湯だったらいっぱい入るのに、冷たい水道水では勝手が違うのか、おなかの圧迫感よりもむしろ冷たさのほうが限界にきて、ものの数十秒と経た ずに腰を浮かせてしまった栞ちゃん、おなかの中から冷えてしまったことで、どうやらおしっこのほうが先に催してきたみたいです。

「お兄ちゃん、おしっこ……」
 震える声で告げると、いったんお空を見上げて、続けて栞ちゃんの股間に顔を埋めてきたお兄さん、どういうつもりなのでしょうか。
「このまましていいよ。栞のおしっこ、飲んであげる」
「……え? そ、そんなの……だめだよぉ……」
 とは言ったものの、がっちりと手を掴まれてしまっては、立ち上がることも腰を引くこともできません。
 前にも一度、おしっこを飲んでもらったことはありますが、あのときはベッドの上だったから仕方なくであって、そういえば口移しでおしっこを飲まされたっ け――なんて、考えが次第に違う方向へと進んでいった栞ちゃん、あそこにぴったりと口をつけたお兄さんが、ちろちろと舌先でおしっこの穴の周りを くすぐ るものですから、もう我慢も限界です。
「出ちゃう……お兄ちゃんのお口に……おしっこぉ……」
「いいよ。……後で僕のも飲ませてあげるから、おあいこだろ?」
 それなら公平でいいや、なんて思ったのかどうか、お兄さんの言葉を耳にしたとたん、体からふっと力が抜けてしまったのは事実でした。
ぷぢゅっ……しょろろろろろろろろろろろろ……。
「んっ……んんっ……んぐっ……んぐ……」
 ごぎゅっ……ごきゅっ……ごきゅっ……ごきゅっ……。
 うるさいくらいの雨音の中、なぜかお兄さんの喉が鳴る音だけははっきりと聞こえて、おしっこの気持ちよさと、それを飲んでもらっているという背徳感に、栞ちゃんは何度も何度も背筋を震わせました。
「……ぁ……あぁ……」
……しょろろ……しょろ……ちょろ……。
「……んむっ……んぅ――っはぁっ!」
 そんなに大した量と勢いではなかっただけに、こぼさずに飲みきることのできたお兄さんですが、それでも口を離したときには肩で大きく息をしていました。
「大丈夫、美味しかったよ、うん」
 心配そうなお顔で見つめてくる栞ちゃんを水飲み場から下ろしてやって、にっと笑いかけることのできるお兄さんってば、色んな意味でさすがです。
ですから、おなかのぐるぐるが始まる前に、どきどきが雨に流されてしまわないうちに、栞ちゃんも決心を固めたようで、
「……栞も」
「ん?」
 ベンチまでの道すがら、おもむろに言い出した栞ちゃんに目を向けると、その視線はびしょ濡れになったジーンズの股間に注がれているようでした。

「栞にも……お兄ちゃんのおしっこ、飲ませて」
 安心かつ油断させるために、半分口から出任せで言ったにもかかわらず、どうやらそれを栞ちゃんは真剣に受け止めてしまったようです。
「……栞、さっきはああ言ったけど、別に無理しなくても――」
「――無理じゃないもん!」
 言葉を遮ってまで、ひしとしがみついてきた栞ちゃんを前に、お兄さんはしばらく考え込んでいたようですが、
「じゃあさ、こうしよう。栞のお顔にかけてあげるから、飲みたくなったらお口を開ける。これでどう?」
 栞ちゃんを気遣っての提案でしたが、別段不服でもなかったようで、頷き返してきた栞ちゃんを連れて、お兄さんは芝生の植え込みへと足を向けました。
 銀杏の木がちょうどいい雨避けになっていますから、これなら雨とおしっこが入り混じってわからなくなるなんてことはなさそうです。幹に背中を預けるよう にしてしゃがみ込んだ栞ちゃんはずいぶんと乗り気のようですが、その前でチャックを下ろしたお兄さんはどこか複雑な心境なのでしょう、おちんちんは萎んだ ままでした。
「ほんとにいいの?」
 この段階になってなお、心配そうにしているお兄さんが不思議でしたが、浴びたところでこの雨ですし、飲んだところで水飲み場が近くにあるのですから、栞ちゃんとしてはぜんぜん問題ありません。
「じゃあ……いくよ」
 おちんちんの先っぽがお顔に向くように角度を調節して、うっとりと目を閉じた栞ちゃんめがけて、とうとうおしっこが放たれました。
じょろっ……じょろろろろろろろろろろろろろろろろろ……。
 狙いが逸れて、まずは髪の毛にかかったおしっこの匂いに、栞ちゃんはくらくらしました。
 次いでお顔に打ちつけたおしっこの熱さは、栞ちゃんの想像をはるかに超えていて、思わずお口を開けることすらも忘れてしまうほどでした。
「……栞、もうすぐ終わっちゃうよ?」
 お兄さんがそう言ってくれなければ、せっかくの機会を無駄にしてしまうところだった栞ちゃん、思いきって大きくお口を開けると、
……じょぼぼぼぼぼぼぼ……じょぼっ……じょぼぼ……。
 しょっぱいんだか苦いんだかよくわからない味が、お口いっぱいに広がったと思う間もなく、さっきよりも強い匂いが鼻に抜けて、反射的に溜めていたおしっこを飲み下してしまったまではよかったのですが、
「ごほっ! げほげほっ!」
 飲み慣れないものですから、あっという間にむせ返って、せっかくお兄さんが出してくれたおしっこを味わうどころではありませんでした。
「ほら、だから無理するなって言っただろ」
 涙目になった栞ちゃんの背中をさすってやりながら、それでもちゃんと「ごめん」なんて謝ってくれるのですから、ずいぶんと優しいお兄さんです。
「ごめん……なさい。……今度はちゃんと飲むから」
 あらら、これで懲りたかと思いきや、チャレンジ意欲も旺盛な栞ちゃんに、思わず呆気にとられてしまったお兄さん、オセロでは完勝でしたが、エッチのほうは油断がならないようですよ?
「……まあ、そっちはおいおい覚えてくとして、おなかのほうはまだ大丈夫なの?」
「え? ……あーっ!」
 完全に忘れていた感覚が、その一言で蘇ってきてしまったものですから、さあ大変。
ぶぢゅっ! びゅしゅうぅうぅうぅ――っ!
「あ……あ……あーあ……」
 気が緩んでしまったことで、せっかくのお浣腸が何の前触れもなしに出てしまったとあっては、二人して声を揃えて残念がったのは言うまでもありません。
 いやはや、何ともおかしなデートになってしまいましたが、これはこれで楽しいひとときであることに変わりはなく、二人の楽しそうな笑い声は雨音に乗って、いつまでも夜の中央公園に聞こえていました。

 それは、公園からの帰り道のこと。
「何でも好きなの買ってきていいよ。僕のは同じでいいから」
 コンビニを数軒先にして、五百円玉一枚を握らされた栞ちゃん、お兄さんからお使いを言い渡されたのはいいのですが、やっぱり今の格好が気にかかります。
 例によって、肌が透けて見えるレインコート姿というばかりではなく、どうもチャックが壊れてしまったらしく、手で前を合わせておかないと、裸だということが一目瞭然になってしまうのですから、無理もありません。
「どうしても……行かなくちゃだめ?」
「どうしても行かなくちゃだめ」
 念には念を押されて、しぶしぶ頷き返した栞ちゃん、こんなことなら喉が渇いたなんて言うんじゃなかったと、ついさっきの自分が恨めしくなりました。
 お兄さんのほうを振り返り振り返り、ちゃんと待っていてくれていることを確かめつつ、ついに自動ドアの前までやってきた栞ちゃんを、こっちを向いていない店員さんの「いらっしゃいませ」という声と、冷房の効いた空気がお出迎え。
(よかった……誰もいない)
 深夜もいいところの時間帯にこの雨ですから、店内にお客さんは栞ちゃんただ一人だけです。なので、まずは店員さんから見えないよう、棚の陰に隠れて飲み 物コーナーを目指した栞ちゃん、桃の絵柄のついたジュースのペットボトルを無造作に二本手にとると、フードを目深に被り直して、一目散にレジに向かいまし た。
「――いらっしゃい……ませ」
 伝票を整理していた深夜勤務の店員さんは、お客さんがどう見ても小学生かそこらの幼女だと知って、驚きが声にも表れています。
けれど、そこはプロ(?)の店員さん、お客様を差別するようなこともなく、ペットボトルのバーコードを読み取って、個数のボタンをぽんと叩くと、
「こちら283円になり……ます」
 税込み金額を読み上げたところで、ずぶ濡れもいいところのレインコートから透けて見える肌の色に、いよいよもって抑揚を欠いた声になってしまいました。
 店員さんの声音が変わったことで、早くお買い物を済ませなければと焦った栞ちゃん、五百円玉をぴしっとカウンターに置くと、その音で我に返ったのか、店員さんは再びレジに向き合いました。
「500円からのお預かりになりまして、お先213円のお返しです」
 何度か小銭を取り落としかけましたが、きっちり百円玉二枚と十円玉一枚、一円玉三枚を間違いなくレシートと一緒にお返しできた店員さん、小さめのビニール袋にペットボトルを詰め込んで、「はい」と手渡せたまではよかったのですが――。
 右手でお釣りを受け取って、今度は左手でお品物を受け取った栞ちゃんのレインコートは、ご存知の通り、チャックが壊れてしまっています。
 店員さんの視線に気がついて、思わず下を向いた栞ちゃん、しっかり前が開いてしまったレインコートと、その隙間から覗くおへそ、さらに南下すればあそこの割れ目もばっちりどっきり見えてしまっているとあって、
「えぇ〜っ!?」
 店員さんと一緒に、びっくりした声を上げてしまいました。
 顔から火が出るとは、まさに今みたいなときのことを言うのでしょう、咄嗟に自動ドアに向かった栞ちゃんからすれば、センサーが反応するコンマ何秒かのタイムラグでさえ、もどかしかったに違いありません。
 かけっこは得意なほうじゃありませんでしたが、店員さんが追いかけてくるのではという強迫観念に駆られるままに、長靴でも短距離走の自己新記録を塗り替 えてしまった栞ちゃん、ゴールにいるお兄さんに、まるで女子マラソンの完走者みたいに抱きついてしまったのでした。
「おかえり。ずいぶん急いでたみたいだけど、どうしたの?」
 お兄さんの胸に顔を埋めるようにして、はぁはぁと息を切らせている栞ちゃん、言葉では言いくるめられてしまうのが目に見えていますから、代わりにきゅっと腕を抓ってやりました。
「いてて……栞、痛いってば」
 痛がっているというよりは、どちらかというと嬉しそうな声のお兄さんに、栞ちゃんはぷうっと頬っぺたを膨らませていましたが、くすくすと笑いが込み上げてくるまでに、そう時間はかかりませんでした。
 お部屋に戻ったら戻ったで、まだまだ夜更かししても平気なくらい、気持ちは昂ぶっています。お外でもこれくらいなのですから、二人っきりになったらどんな風になるのか、まるで想像もつきません。
 火照りっぱなしに火照った体も、燃え上がるいっぽうの気持ちも、これくらいの雨で消せるはずもなく――。
「帰ったら、栞は何がしたい?」
 マンションへと続く坂道で、お兄さんはそんなわかりきったことを訊いてきました。
「お兄ちゃんがしたいこと、ぜんぶ」
 そんなわかりきった答えを望んでいたのは、果たしてお兄さんと栞ちゃんのどちらだったでしょうか。
 小学校に入って初めての夏休みを迎えたその夜は、こうして更けていったのでした。



後編につづく